こんにちは。
前回は節分で行われる豆まきのルーツをお話しさせて頂きました。
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前回の続きです。
宮中の「追儺(ついな)」は、現代の和やかな豆まきのルーツですが、その実態は「国家レベルの生贄(いけにえ)と、差別が生んだ闇の浄化儀礼」という、かなりドロドロとした側面を持っています😱
※追儺とは大晦日(おおみそか)の夜に宮中で行われる、悪鬼を追い払い災難を除く儀式。 鬼に扮(ふん)した舎人(とねり)を、殿上人(てんじようびと)が弓と矢で追い払うとされています。
1. 鬼を追い払う男「方相氏(ほうそうし)」の悲劇
追儺の主役は、金色の眼を4つ持った仮面を被り、盾と矛で鬼を脅す「方相氏」という役職です。彼は一見、ヒーローのように見えますが、その実態は非常に残酷なものでした。
・「鬼」に最も近い存在: 方相氏は、鬼を追い払うために「鬼よりも恐ろしい姿」をしています。古代の論理では、「鬼を払う者は、本人も鬼(穢れ)に染まらなければならない」と考えられました。
・身代わりの末路: 儀式が終わった後、方相氏は宮中から追い出されるように去ります。平安時代中期以降、この役を演じたのは社会的に疎外された人々でした。彼は都中の「穢れ」を一身に引き受けた**「生きたゴミ箱」**のような扱いを受け、儀式後は人々から石を投げられたり、忌み嫌われたりする存在になったのです。
2. 「鬼」役はエリートの死体役?
追儺の儀式では、方相氏に追いかけられる「鬼」の役が必要ですが、初期の記録を辿ると、驚くべきことに「本物の死者」や「病者」を鬼に見立てていた形跡があります。
・死の擬似体験: 平安時代の貴族たちは、死や病(疫病)を「目に見える形」にして追い出そうとしました。
・殿上人の「鬼ごっこ」: 後に貴族の子弟(舎人など)が鬼役を務めるようになりますが、彼らは儀式中、暗闇の中で激しく打ち据えられました。これは単なるパフォーマンスではなく、「肉体に宿った魔を物理的に叩き出す」という暴行に近い浄化でした。
3. 桃の弓と「葦(あし)」の矢に隠された殺意
追儺では、桃の木で作られた弓と、葦の矢が使われます。これらは神話でイザナギが黄泉の国から逃げ帰る際に使った「魔除けの武器」です。
「なぜ、刺さりもしない葦の矢なのか?」
実は、この「葦(あし)」という言葉は、古語で**「悪し(あし)」に通じます。 「悪しきものを、悪しきもので射る」。つまり、毒をもって毒を制する呪術です。宮中の裏側では、この儀式を利用して「政敵の呪い」をその矢に込めて放った**という噂が絶えませんでした。華やかな儀式の陰で、誰が誰を「鬼」と見立てて呪っていたのか……。節分の夜の闇は、権力争いのドロドロした情念を隠す絶好の隠れ蓑だったのです。
「節分は、誰かが悪役(穢れ)を背負わされることで成り立つ、残酷なシステムだった」という視点で見ていくと、非常に深みが出まますね~
次回は最終話この「方相氏」が、のちに立場が逆転して「節分の鬼」そのものになっていく過程をお伝えさせて頂きます。
本日もお読みいただきありがとうございました。









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